もう30年以上も前、なんでこの作品にそんなに惹かれたのだろうと再鑑賞。あまり面白くない。長い。しかし後半になるにつれ名作と納得する。チャーリーが叫ぶ「精神の生命を見せてやる!」とは果たしてどんな意味なのだろう?彼は保険屋を偽り「心の平穏を売り歩く」と言っていた。本当は殺人鬼なのだが「人を解放してやっている」とも言っていた。保険屋と殺人鬼は同じなのではないか?
保険、とりわけ生命保険とか医療保険は当たり前に存在するが、それは悪魔の取引であり、人間が作り出した「無」から莫大な利益を生み出す虚構だ。保険屋は得てして大企業で金持ちのイメージであり、ということは集金したほど還元していないという意味だ。
よーく考えよう、契約者が損をするから保険屋が儲かる。こんなのはビジネスではない。ただの高尚な建て前を謳った詐欺に過ぎない。でもみんな保険屋はいい職業だと目指す。
銀行の頭取(なぜか社長ではなく頭取という)もエリートの大金持ちというイメージだが、まさに庶民の頭を刈る、人の金を掠め取っていくから金持ちなのだ。銀行の頭取だから金持ちというのはおかしい。預かった金は利子をつけて返さなければならない。返さずに済む金がたくさんあるというのは豊田商事と紙一重、同じカラクリだ。
そういう悪魔が平然とこの世の中に紛れ込み、我々はなんともおもわず関わっている、そんな世の中を奇妙奇天烈、ムード満点、面白おかしく、シュールに描く、この兄弟のまなざしは哲学者よりセンスのある哲学をしている。